SHSR (Sexual and Reproductive Health and Rights) を扱っている動画を見た。人類社会がみな公正にチャレンジできるような方向に行くことはよいことだし、前近代的な価値感を持ち込んだところですでに誰も相手にしない社会になっていっている。10年くらいのスパンでも世の中の価値観はすごく変わっていて、基本的によい方向に進んでいると思う。ただし、果たしてこれは永続的な傾向なんだろうか、と最近考えることがある。
先進国の出生率が軒並み低下し、しかもその低下が教育、自由、選択といった美しい理念とほぼセットになっていることは、現実だ。この価値観のもとで暮らす、おもに先進国や都市部にすむ人は、生む/生まないを自分の意思で決められる社会を手に入れた。だが、その自由が人口動態にどれほどの作用を及ぼしているかを語るとき、議論は不思議なほど慎重になる。なぜなら”自由を守るほど人口が減る”というこのパラドクスは、社会が全体として向かっている方向性と真正面からぶつかるからだ。
この話をもう少し丁寧にほどくために、まずは東南アジアを例にしたい。経済発展の速さや都市化のペースは国ごとに似ている部分も多い一方、宗教分布の違いが出生率にはっきりと影響している。その違いは、単なる文化比較では済まされない。むしろ、宗教を媒介として再生産の戦略そのものが変わっていると言ったほうが近い。
たとえばインドネシア。イスラム教徒が9割を占めるこの国では、教育水準が上がり、女性の就労も増えているにもかかわらず、出生率はゆっくりとしか下がってこなかった。地域によっては依然として2を上回る。マレーシアも似た構造を持ち、都市部では出生率が落ちているものの、ムスリム人口全体の再生産力は高いままだ。
対照的なのがタイで、仏教徒が多数を占め、宗教的規範が家族計画にほとんど影響を与えない社会では、出生率は急落した。すでに 1.2〜1.4のゾーンを行ったり来たりしており、先進国と同じ人口縮小のフェーズに入っている。シンガポールに至っては、宗教より都市化と教育の影響が突出しており、出生率は世界最低クラスだ。
カトリックのフィリピンを見れば、この違いがいっそうクリアになる。カトリック教義が避妊に否定的であることはよく知られているが、その文化的影響は大きい。都市化が進んでも避妊率は伸びにくく、出生率も高止まりし、人口増加は今後も続きそうだ。すでに人口は1億を超え、21世紀後半には東南アジア最大の人口国家になるとの予測もある。
こうした差を表にしてみると、より立体的に理解できる。
宗教別に見た「出生率が下がりやすいか/下がりにくいか」の傾向
高出生率を維持しやすい
┃ ・イスラム(東南アジア)
┃ ・カトリック(フィリピン)
┃
┣━━━━━━━━━━━━━━
┃
┃ ・仏教(タイ、ベトナム)
┃ ・無宗教/弱い宗教(シンガポール)
低出生率に落ちやすい
もちろん、この図は傾向にすぎず、宗教だけで未来が決まるほど世界は単純ではない。一人当たりGDPや貧困率などの影響も大きいだろう。だが、文化的背景がある程度似た地域でこれだけと差がついている以上、進歩的な社会かどうか(=宗教的に保守的かどうか)が出生行動に及ぼす力は大きいと考えてもよさそうだ。
ここで、ダーウィン的な視点――つまり自然淘汰というレンズ――を持ち込むと、もう少し厄介な問いにぶつかる。高学歴化し、個人の自由を尊重し、SRHRを正面から扱うようになった社会ほど出生率が下がるのだとすれば、長期的に見て、その進歩的な社会は自らの価値観によって縮小していく運命なのだろうか。
この問いに関する反論として思いつくのは、次の世代は必ずしも親の宗教的価値観を引き継がないという点だ。宗教的に保守的な家庭に生まれても、次世代の一定割合は世俗化する。しかし、この説明には数の力学への理解が欠けている。
宗教的に保守的な集団からは、毎世代、一定数の世俗的な若者が生まれる。だが、その供給源である宗教的集団が多数の子どもを持ち、絶対数として増え続ける限り、世俗化した若者の比率はあまり増えない。世俗化の波が押し寄せても、その波を生み出す源泉が縮小しないのだから、世俗層が人口的に優位に立つことは構造的に起こりにくい。
東南アジアの事例は、この構造がすでに現実世界で動き出していることを示している。イスラムやカトリックの多い国では出生率がゆっくり低下しても高止まりし、仏教圏や都市化の進んだ国では急落している。この差が 50年、100年、150年と積み重なれば、当然人口の重心も変わっていく。現代の進歩的な価値観を支えている層が、相対的に縮小していく未来は、単なる悲観ではなく、統計的にかなり自然な帰結に見える。
もう一つの反論としては、SRHRというような文化の波及スピードは、人の再生産速度に比べてはるかに速いことだ。自分の親世代や子世代の価値観、はもはや自分と全然違うことがわかるだろう。血族集団や民族間の社会的通念や価値観の引継ぎより、同世代における文化の広がりによる影響のほうが大きいという場合もある。これがどのくらいのスピードになるのか、またこの変化が果たして人口動態にどっち側に影響を及ぼすのかはわからない。
結局のところ、人類は”自由を選んだ社会が自らを縮小させる”という、この奇妙なパラドクスをどう扱うのか、まだ答えを持っていない。何事も歴史を振り返ると答えがあったりするものだが、進歩的になった集団が自然淘汰されて消滅・縮小した事例はあるんだろうか。

コメント