Ph.Dいきたい

さて今日はまったり起きてしまった。というわけで遅い遅い朝ごはん(もはや昼ごはんとしても遅い気がする)を食べた後、昨日夜にPythonをやってたりLATEXでパイロットについて書いてみようとか思っちゃったからいけないんだなあと思う(現在の執筆具合32ページ)。宿題なんてぜんぜんやってないので非常にまずい。というわけで今学校にいるわけですが新たなHTMLコーディングのやつが来ちゃったのでそいつを落とす。

それからこの前やすのうちで聞いた、ひろきが持ってた押尾コータローのギターが聞きたくてしかたなかったのでそれもmp3プレーヤに入れる。当然容量が足りないのでいくつかの歌には一時的に消えてもらうこととなった。その後。http://phd.blog50.fc2.com/をみて一人で盛り上がる。そしてトレーニングでもしよう。そろそろやばい。そして作業いけなくてアラレとフェアリングの皆様ごめんなさい。すべては自分の怠惰な生活のせいです。

まずいのは、大晦日にいくCDJのライブのやつの連絡が昨日と一昨日あったのだけれど、電話に出なくて放置してしまったこと。これは採用されかけたけれど連絡通じないからクビなんじゃないかと思ったので、さっき電話してみたけれど夕方にかけなおすといわれたままでまだ電話が来ないので不安。

今日じいちゃんと話していたらいろいろ面白かった。話は2.26事件から始まったのだけれど、軍に入って満州に行ったときに自分は当時珍しく車が運転できた+車の修理ができたので、ほかの人に比べて楽だったこととか(修理に出してへぼい修理で返ってきたラジエーターを自分で治したりしていたらしい)、それでもたまに訓練にでなきゃならなかったこととか(衛生兵なので普段は病院にいたらしい)。

そして、戦争が終わってソ連にウズベキスタンだかカザフスタンだかよくわからない黒海だかカスピ海だかまで行く途中に、シャツを大量に着ていって(シャツ5枚+外套3枚とか。人間ってそんなに服着れるものなんだなと思った)、途中で現地の人とジャガイモと交換したり、黒海だかカスピ海だかで取れたナマズの塩漬けを現地の人に反対されながら焼いて食ったり(話によると軍に来る前から、次はロシア語だと思って勉強していたからなんとか通じたらしい。そしてナマズは生なので焼かないと食えないようなものだったと。現地では生で食べたらしい。)、その収容所にいってなんとか熱がでてるように見せかけて作業を休むために体温計をごまかす方法とか教わった。

そしてその収容所ではソ連共産党に忠誠を誓うと日本にすぐ帰してもらえたのだが(これは結構有名な話だなあと思った。アメリカから帰ってくる捕虜は「戦争がんばったけど負けちゃったから一からがんばろう」と帰ってきたのに対し、ソ連や中国から洗脳されて帰ってきた人は「日本を赤化しよう!」という目的で帰ってきたってのは当時のニュースとかにも載ってる)、爺ちゃんは頑固にこばんだので結局帰ってきたのは3年後だったらしい。とかね。

さてトレーニングかな。相変わらず電話が来ないのでCDJいけるか微妙。

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