殉死

月曜は朝から晩まで授業があったのだけれど、朝の解析の時間に悲観主義者からバッグを受け取り、なんだか毎回同じようなことをやっている問題をといたり、対数方眼紙がなくてもらったりしていた。最後の演習のグラフをでっちあげ、急いで走った。

というのもこの時点でこれ以降の授業の教科書を持っていなかったため、取りに行く必要があったので。自転車でなら片道6分なのだけれど、歩くと30分かかってしまうので、昼休みの50分で往復するにはきついので走る。そしてなんとかたどり着き、教科書だけとってまた走る。ずっと走ってた気がする。というわけでそのまま英語。

この前の惨事の際に俺が英語を話していたとかさまざまな方面から聞いたものの、いきなりそんなもんが出てくるのかなと英語の時間に思っていた。確かに英語の授業の聞き取りくらいなら大体わかるけど、受動的ではなく能動的に話すことなんてできるのかなと思った。アメリカにいるわけでもないのにね。というわけでなんかunit quizとかあって、その後GREの問題とかやって終わる。

最後に熱。なんか話していたようだったが、この時点でまだ多少三日酔いだった俺は寝ていた。最後に少し起きて教科書みて終わる。演習はエクセルギとか求める普通な問題。終わらなかったら来週レポートとか言っていたので、レポート用紙と時間を無駄にしてそんなことやるのは絶対にいやだと思ってなんとか時間内に終わる。

さらにその後、家に帰りひたすらDreamweaverでテーブルをつくりまくってなんとか終わらせたのが午前6時半。そこから寝て、起きて13時過ぎになった。というわけで材力へいこうと思いきや歩いていったら15分くらい遅刻。というわけで前のプリントもなくなっていたし、教科書もノートも持っていないので、抜け出して図書館へ行ってほかの材力の本を借りてきた。授業を無視してその本で授業の内容を理解し、演習へ。ちなみにその本だけでは暇だろうと思い、オープンソースがなんとかって本も借りてきた。

演習はむしろ授業聞いていたやつらよりわかってた気がする。やっぱ勉強は能動的にしないと意味ないものだなあと再認識。その演習をやっているとき、そこらへんを歩いていた教授に「君、**先生の本使ってるの?」とか聞かれた。どうやら見てみたら自分の所属する学科の昔の偉い人が書いたものだったらしい。

その後、メガネ直して、CSSとか直して、帰宅。帰宅途中に立ち読みしたので帰ったら24時過ぎだった。それからご飯食って風呂入って寝て、起きた。起きたら8:30で、ご飯食べて家を出る。ひたすら歩き、病院へ清算に。病院の場所はよくわからなかったけれど、適当に歩いていたらあった。1/3くらいお金が返ってきた。でも鍵見つからず。

というわけでそのまま歩いてきて端末へ。MATLABでprelabをやって今に至る。

*1後日談

*1:二次会ではまだ人間だったらしいという話を聞いてよかったなあと思う。そしてそれからヒトでなくなっていろんな人に助けてもらったようだ。やす・ひろき・悲観主義者・しゅーへい・うるに特に感謝(らしい)。覚えてないの痛い。

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