数週間前に、「なんで駐在員は大変なのか」という記事が話題になっていた。もし興味があったらぜひ読んでほしい。自分の置かれている状況がこの人とかなり近いところがあり、その他にも同意するところが多かったので思ったことを、元の記事を引用しながらメモする。
だが、仕事をそんなしていないにも関わらず、英語に慣れていないので、英語を聞いているだけで凄まじい疲労感がある。1日10時間ぶっつづけで英語のリスニングのテストを受けているような感じと思ってもらえばわかりやすい。毎日頭がボーっとする。あと突然車通勤になるので、行き帰りの車の運転に妙な神経を使ってしまい、意外とそれだけでも衰弱する。(毎日車通勤で、時速130キロ+右側通行は地味に嫌)
だから、生活のアジャストどころか、ただ息してるだけで消耗する、というのが正しい表現。そして、寝て体力を回復する、というサイクルをただ回している。
これはすごく同意である。俺もアメリカに来てから1ヶ月位はひたすら体調が悪く、気分的にも良くなく、ストレスフルだったように思う。英語はわからないにも関わらず、土日でかけては家を探したり、日本でもやっていなかった車を運転しなければならなかったり、自転車に乗れずに運動不足だったり、それなのに仕事は忙しかったり。今となっては懐かしいがややまいっていた。
アメリカ人はナイスガイなのではなくて、ナイスガイでなければいけないのだ。日本人が空気を吸うように謙遜するのと同じで、空気を吸うようにナイスガイにならなければならないだけの話だ。そこを勘違いしてはいけない。
強いて言えば、日本人より全然アメリカ人のほうがハイコンテクストなので、注意が必要だ。京都人もびっくりなくらいの空気嫁コミュニケーションが行われる。普段褒められ慣れてない日本人が、思いっきり額面通りに受け取ってぬか喜びする様は、もはや風物詩感があるが、だいたいは全然褒めてないので要注意。
実は日本人は仕事上すごくダイレクトな民族で、かなりの日本人がこれを勘違いしている。よくこれを理解しているアメリカ人は、僕がダイレクトな表現を使うと“Very Japanese”って言ってくるくらいだ。
これもよく感じる。アメリカ人は意外に空気を読むのだ。日本はインダイレクトだと言われることがあるけれど、たしかにそういう場合もあるけれど、仕事上はかなりダイレクトな気がする。日本だと会社で怒られたりしてる人を見たり、特に何か成果をあげても褒められるわけでもなかったり、明確に間違いを指摘されたりする。これらはダイレクトで、なぜかというと思っていることが口から出ているからだ。怒っている人はほんとに怒っているし、褒めない人は実際に感謝していないし、間違っていることはそのまま指摘される。アメリカ人は、仕事の上で同意できないことがあったとしても怒ったりしないし、少しでも何か仕事するとものすごく感謝されるし、間違いがあっても特に厳しく追求されたりしない。それは本心からというよりは、ナイスガイでなくてはならないのでそう振る舞っているというように見える。
How are you doing?とかHow’s it going?とか聞かれたとき、たとえインフルエンザにかかっていて死にそうでもGoodと言う感じと似ている。ナイスガイさの求められる平均値が高いレベルにある。人とすれ違ったらにこやかに笑わなければならないし、基本笑顔でなければならない場面は多い。理想主義的に見える。
日本語だと、論点を聞けば5手先まで読めるのに、英語だと全く想像が及ばない。1歩先しかみえないので「AならばB」なら想像できるのに「AならばBになるから結局C」というのが瞬時にわからない。日本語で聞いたら自分がバカすぎてがっかりできるレベル。
記憶力も絶望的に下がっているので、本当に何をするにも時間がかかる。Aさん、Bさん、Cさんが順に論点を出して、どう解決すれば全部解決できるか、という話だったのに「すんませんAさんの論点なんでしたっけ?」って聞いて、話の腰を折る場面が頻発する。
数字はきつい。1.5億ユーザーといわれればおーすごいとかいってすぐ覚えられるのに、one hundred fifty million usersといわれると、脳内にイメージが伴ってないので、ただの数字の暗記になり、全然頭に入ってこない。すぐ忘れちゃう。情報にイメージや色が全くついてないのだ。
これもすごく同意である。仕事を一定数こなしたあと、誰かが例えば自分の席にやってきて日本語で相談された場合、相手が喋っている間に解決策を数個考え、それらを比較して現時点での最適案を選び、それをどうやって伝えればよいかを考え、さらに今の仕事との兼ね合いでいつまでにできるかくらいを考える。ところが英語だと、そもそも全力に近く力を傾けないと聞き取れないので、そんなことを考えている暇がない。喋り終わったあとにようやく過去の記憶からそういえばそんな議論が前にもあったな、などと思い出し始める。
数字はかなりきつい。日本語だと無意識に数字を感覚として捉えている場面でも、英語だとまず文字に変換してから考えている感じがする。特に普段使わない桁数だと記憶がかなり厳しい。電話番号とかを少しの間暗記するのとか、日本語なら完全に口で覚えてリピートできるけれど、英語だと記憶力がひどいので覚えられない。
日本で専門職だった人のディフェンス力が強いのは、本職の経験がそのままディフェンスになるからである。専門職だったがゆえに長いこと同じ職にいさせてくれたということが、国際的なキャリアデベロップメントの仕方とたまたま合致しているのである。日本で真面目に数年ひとつのことをやってきた人ならかなりの確率で生き残れる。専門職で日本で飛び抜けていれば、アメリカでも活躍できる可能性がとても高い。
逆に、何でもまんべんなくやってきた人こそディフェンスする場所がないので、危険にさらされやすい。そういった日本企業的な人は「日本から来た新入りのアイツすごいぜ」をめざしてはいけない。「あ〜あいつのこういうところありがたいわあ、何言ってるかマジでわかんないけど。」と上司に思われるのが、最初の現実的な目標になると思う。Outperformするのは別にそのあとでいい。
完全に同意である。俺はまさにこのケースで、英語が全然できない一方、会社に入ってからずっと継続してひとつの技術分野をひたすら仕事(むしろ会社に入る前から大学にいるときは研究)してきた。そのため、自分のひたすらやってきた分野に関して言えば特に技術的に困ることはない。むしろみんなが話していることさえ聞き取れれば、2週遅れの議論をしているななどを思う余裕が出て来る。
上記で言われているように、何言ってるかマジわかんないけど聞いてみると答えが出て来ることが多いと思われていることが多いような感じ。特に地頭が良いわけでもないので、ひたすらやってきたことの経験値で毎日飯を食べていっている感じがする。だから逆に危機感もある。経験値を使い果たしたとき、果たして自分には価値があるのだろうかと。
日本では生涯一エンジニアみたいな人はやっぱり少ない感じがしていて、多くの人は出世してつまらないマネジメントをしている気がする。ところがアメリカでは、この分野ひたすら30年やってますみたいな人が結構いる。そうなるともう絶対に中途半端にかじっただけの人はかなわない。地頭で勝負できるレベルではないのだ。アメリカに来ることで、「地頭がよさそうに見える素人に専門的な仕事をやらせる」という、日本企業の悪しき一面に光が当たる。
以上のようなことをこの記事を読みながら思った。英語編と書いてあるので英語以外編もあるのではないかと思って期待してこの著者の新しい記事を待っている。経歴を拝見すると自分と似たような学歴かつ年だったので、感覚も近いのかもしれない。
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